はじめに…

前作「世界音痴」での穂村弘さんの様子が、あまりに面白くてハマってしまい、この「もうおうちへかえりましょう」を読み始めました。

読書感想

「もうおうちへかえりましょう」は、「世界音痴」と同様に穂村弘さんのエッセイです。穂村弘さんの日常での気づきは、時に鋭く、またある時はそうきたか、となるようなものまで様々な着眼点に、面白みを感じるのでした。

我々の子供時代に比べて親たちの願いがインフレ化していることは確かだと思う。「幸子」「優子」という名付けの背後には人並みの美質や幸福を願う気持ちがあるが、「怜央」「美佑」になると、それ以上の、世界でただひとりのヒーローやヒロインに、というニュアンスがある。(「もうおうちにかえりましょう」本文より抜粋)

子供の名付けに関しては、キラキラネームなんて言われるようなこともあったけれど、穂村弘さんのようにして捉えてみるのは、私にとっては真新しかったです。

子供の名付け、とは親の願いが込められるもの、ということを頭でわかっていても、時代ごとの流行り廃りのようなものも背景には存在していて、そこにヒーローやヒロインといったニュアンスを見出す穂村弘さんの感性には心揺さぶられるような気持ちになりました。

友達の部屋に行くと本棚が気になる。ちらちらと目を走らせてはどきどきする。背表紙の書名とその配置が持ち主の心のあり方を示しているように思うのだ。

だから逆に、自分の本棚をみられるのは心を覗かれるようで恐ろしい。抜き打ち検査で自分の本棚を調べられることを想像すると、思わず、本当は違うんだ、と云いたくなる。本当、ってなんなんだ。(「もうおうちへかえりましょう」本文より抜粋)

友達の部屋の本棚、自分の部屋の本棚のことは、穂村弘さんの言葉そのままに共感するばかりでした。誰に見せるわけでもないのに、本棚に並べる本の配置を意識したりする自分がいるので、私だけではないのだな、とどこか安心する気持ちにもなりました。

最後に…

「もうおうちへかえりましょう」穂村弘著は、どこか寂しげな様子すら感じる穂村弘さんの日常から、読んでいる人にも通じる物事がどこかしらに見つかるような日々に、どこかホッとするエッセイでした。