こだまさんによる生まれ育った土地でもある”おしまいの地”での出来事を綴ったエッセイ、「ここは、おしまいの地」を読みました。

前作の「夫のちんぽが入らない」でも、語られていたご家族のこと、学生時代のことなどが、より掘り下げられた内容として今作「ここは、おしまいの地」には多く記述されていました。

子供時代から現在に至るまでを語る中で、特に印象的だったのは妹さん達との思い出でした。子供だからこそ、あるいは子供ゆえの残酷さが垣間見える出来事が綴られている中で、大人になってからは姉妹仲良くされている様子が伝わってきたものの、ある時、妹さんからの言葉に、こだまさん自身の生が妹さん達に委ねられているのかもしれない、という何とも言えない生身の人間だからこその不気味さすら感じました。

甘えは馬鹿。弱音も愚か。子供のころから、ずっとそう思っていた。けれど、ときには誰かの厚意に思いきり寄り掛かってしまっていいのだ。力を抜いて生きればいい。

(「ここは、おしまいの地」本文より抜粋)

時には甘えてみたり、弱音を誰かに吐き出すことに対して、どこか得たいの知れない罪悪感を持ってしまったり、否定してしまいたくなる気持ちには、似た気持ちを持っていた時期が私にもありました。

こだまさんが、入院された時に誰かの厚意に思いきり寄り掛かってしまっていい、と思えたことは、とても大切なことではないのかな、と思います。

 

人は1人では生きていけない、というのはよく聞く言葉であるけれど、実際、なんでも1人でやろうと意固地になってしまうのは、力の抜き具合だとかもわからなくなり、結果としてキャパオーバーになってしまったり、誰かとの繋がりから生まれる感情であったり、学びだとかを得るチャンスを逃してしまいかねない、とすら私は思っています。

私自身も、そんなに人付き合いが上手ではないけれど、人と接することで得られる情報や考え方などは、格別なるものではないかな、と思うことがしばしばあります。

子供のころから電話が大の苦手だった。苦行といってもいい。仕事を変えたら性格も変わるような気がしていたけれど、現実はそう甘くない。苦手なものはやはり苦手なままだった。

(「ここは、おしまいの地」本文より抜粋)

子供の頃から苦手なものは、こだまさんが仰るように私も同様に苦手なままです。仕事を変えたら性格も変わるような気がしていた、というのも思い当たる節がありました。

私も、苦手なものは苦手なままだけれど、ちょっとずつ得意なことを見つけたり、増やしていければ良いな、なんて都合の良いことを最近では思っています。

「ここは、おしまいの地」こだま著を読んでみて、いろんなことに巻き込まれ続けているこだまさんのこれまでの日々に驚きつつも、そこから得たものが言葉になって糧となっていくのだろうな、と思いました。おしまいの地と言いつつも、どこか愛着を感じずにはいられない思い出が続いていく場所でもある、こだまさんのおしまいの地の出来事を今後も、綴って頂けたら、ぜひ手にしたいです。

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