気になったままでいた「すべての教育は「洗脳」である~21世紀の脱・学校論」堀江貴文著を読みました。

本文の中には、学校とは、会社とは、仕事とは、などと読むごとに、自分自身に問うてみたくなる言葉ばかりが目に飛び込んでくるかのようでした。

企業からすると高学歴の人間は、理不尽な作業への耐性が強いという判断になる。

いまだ体育会系の学生へのニーズが高いのも、要するに「従順さ」と「理不尽への耐性」が強いとみなされているからだ。

(「すべての教育は「洗脳」である~21世紀の脱・学校論」本文より抜粋)

前後の言葉もあってこそ、この抜粋した箇所への共感もより高まるとは思うけれど、この箇所だけでも伝わってくることというのは、何かしらあるのではないかな、と思いました。

というのも、私自身が、これまでよりも高学歴な方々と接する機会が、近ごろ増えたことで、思う節があるからかもしれません。

理不尽なことに都度、声をあげることを良しとしないような風潮に出会うことが、増えたことでモヤモヤしたものが胸の内にあったけれど、堀江さんの言葉で納得のいくような答えに出会えたようにも思いました。

 

インターネット登場後の世界において人生の豊かさを左右するのは、情報やモノを「どれくらいストックしているか」ではない。

「必要なものにはすぐアクセスできる」と知っているかどうかだ。今はスマホも使えない土地持ちの御曹司より、スマホを使い倒せる貧乏学生の方が、イノベーションを起こせる可能性は高い。

(「すべての教育は「洗脳」である~21世紀の脱・学校論」本文より抜粋)

 

大袈裟に表現しているわけではなく、言わんとしていることが正にそうだろうな、と納得せざるを得ないようなことを時折、SNSなどで見かけるからこその現代を象徴するような生きる術を抜粋箇所から考えてみました。

ここにこうして感想を書き連ねている間にも、チャンスを手にしている人がいるかもしれない、と思うと私も行動すべきだ、なんて自分自身を奮い立たせるような気持ちになるから不思議なものです。