「やりたいことは二度寝だけ」津村記久子著を読んだ。

津村記久子さんの作品を読んだことが、これまでにないものの、今回、タイトルを目にしてこのエッセイを読んでみたくなった。

それにしてもわたしはなぜ、人みたいな印象の動物やしゃべる鳥に興味があるのだろうか。

なら人でいいじゃないか、そこらじゅうにいるじゃないか、人ならば、と自分の贅沢さに

むかむかしてくるので理由を考えたのだが、人疲れしていながら人恋しい、という状態の時に、

「人みたいな動物」や「賢い生き物」のことを調べたり思ったりしているようだと思い至った。

(「やりたいことは二度寝だけ」本文より抜粋)

本書では、著者の津村記久子さんが会社員と作家を兼業されていた頃のことが、いくつも見受けられ、その中の一部が上記の抜粋だ。

上記のような、人疲れしていながら人恋しいという状態は、私も共感することがある。

他人と関わると、楽しいこともあれば、腹立たしいこともある。

それなのに、誰とも関わらない、というのはどこか寂しくなることがある。

そういう気持ちが、人みたいな風情のある動物であったり、かわいい動物の姿を思い求めてしまうのは、津村さんの言葉に言い表されている。

さまざまな悪態はあれど、他社へのもっとも手厳しい罵倒が

「友達がいなさそう」である人は多いと思う。

(「やりたいことは二度寝だけ」本文より抜粋)

この言葉は、私自身、誰かが誰かのことを言っているところを、今までに何度か耳にしたことがある。

シンプルでありながらも、面と向かって言われたら、心にグサッと刺さる言葉である。

本文でも津村さんが見解を述べていたが、言った方としては孤独を最も恐れている、という状態がバックグラウンドにある、というようなニュアンスだった。

孤独を認めること、孤独になることを恐れる、というのを受け入れられない、受け入れたくない、という人もいるだろう。

人それぞれであるから、難しいとことではあるが、自分は誰かのことを「友達がいなさそう」と述べるのは避けたい、と思う次第だ。

本書を読んでみて、現在は専業作家になられた津村記久子さんの日常を垣間見ることができた。

津村さんの日常などは、淡々と語られることもあれば、こだわりを感じる物事も見受けられた。

誰かのエッセイを読む度に、その人それぞれの気にかけることとそうでないこと、楽しみにしていることを知ることは、自分がなにかを楽しむためのヒントにもなるようで、おもしろい。