「齋藤孝の知の整理力」齋藤孝著を読んだ。
誰かと会話している時、テレビ番組を見ている時など、誰かの言葉を見聞きしていると、話題が何であれ、内容が頭にスイスイと入ってくることもあれば、そうでないことがある。
本書を読むことで、上記のような場面でどんなことが双方で起きているかが、よりイメージしやすくなった。
上記を踏まえつつ“知性”というものが、どんなものであるかもつながりを持って、把握することができたように思う。
知識をきちんと整理してつながりを持たせ、知的で生産的なアウトプットにつなげられるか?が、知的である人と普通の人とを分けるのです。
「齋藤孝の知の整理力」 本文より抜粋
“知的な人”というものを、学歴や肩書などで判断してしまいがちではあるが、そうではないようだ。
誰かに伝えたいことがあるならば、整理しつつ相手に伝えなければ、言葉の端くれすら受け取ってもらえないかもしれない。
本書の中でも、齋藤氏が話が長い人、話が短い人についても述べているのも、とても参考になった。
良質なアウトプットを意識しながら本を読み、テレビを見て、漫画を読み、歌を聴いていると、知識は自然と入ってきます。
「齋藤孝の知の整理力」 本文より抜粋
知性を整えていきたいからと言って、手当たり次第に本を読めば良いという話ではない。
アウトプットを意識する、とすると、抜粋箇所のように知識のもとになるものが、多々あることがわかる。
今話題のことをある程度知らないと、置いてけぼりになる。
だからといって、ミーハー心を剝き出しにする必要はないが、誰かとの会話の糸口には、話題の事柄がインプットされていると良いことは想像がつく。
ひねくれた考えをせず、積極的に楽しいもの、素直に面白いものを見つける姿勢の方が知性的です。
「齋藤孝の知の整理力」 本文より抜粋
知識を取り込んでいきつつ、自分の思考に組み込んでいく中で、凝り固まることなく並行して自分の直観を磨いていくのは、無理なく習慣化することが先決だろう。
習慣化していく中で、ゆがんだ気持ちに比重を置かず、柔軟な気持ちで楽しめる心の余裕も忘れないようにしたい。
知性というものは本来、壮大な知慧や思想に感動し、それを知ることができた自分を「幸福だ」と思うことなのです。
「齋藤孝の知の整理力」 本文より抜粋
知性というものが、とんでもなく特別なものではなく、いかに自分を喜ばせるものなのか、ということに行き着くのかもしれない。
知性は自分なりに磨きをかけていくことで、それまで以上の幸福感が得られるものとすれば、それがどんなものになっていくのかを試していきたい。
まずは、自分の為にアウトプットを意識したインプットを繰り返しつつ、自分の知識を増やしていきたい。