岩井志麻子さんによる現代百物語シリーズ第8弾「現代百物語 因果」を読んだ。現代百物語シリーズで語れている怖い話は、岩井志麻子さんの友人・知人・友人から聞いた実話、岩井志麻子さんご自身の実話をもとにして語られている。どの話も、実話ではあるものの、人物や環境などが特定されぬよう脚色して記述されている。
現代百物語シリーズは、どれも99話とあとがきで締めくくられている。100話目を語った後に怪異が起こるかもしれない、ということへの岩井志麻子さんによる配慮から99話までで語りが終わるのだ。
今回の怖い話も、知らなかった方が良かったのかもしれない、それ以上探ってはいけない話だったんだな、と思うような話がいくつもあった。
その中でも、事故物件についての話を読んでいて、なるほどとなった。下記の通りである。
「真の事故物件って前の住人が殺されたとか幽霊が出るとかじゃなく、今住んでる人が何かやらかしてる、もしくは隣におかしな人がいる、って部屋ですよ」
「現代百物語 因果」本文より抜粋
上記のことが、登場人物により語られていて、妙に納得した。事故物件について、過去のことばかり気にしていたけれど、たしかに現在進行形の怖さを知ることがあるとしたら、それはこれまでに経験したことがない怖さを知る機会にもなるが、できればそれは知らないまま過ごしたいものだ。
また、ある話では、生霊は行ったことがある場所にしか行けない、ということを初めて知った。今後、自分の身の回りで怪異が起きないことが何よりではあるが、知っている方が良さそう、と思い、ここにも記す。
このほかにも、睡眠中に見る夢の話にもおもしろいものがあった。以下の通りだ。
夢に出てくる人というのは、自分がその人を思っているから出てくるのではなく、その人が強くこちらを思ったとき、出てくるらしい。
「現代百物語 因果」本文より抜粋
これまでに夢の中の登場人物については、自分が睡眠直前までに考えていたこと、その日にあったことが起因して夢に見る、とばかり思っていた。いつもいつでも、ということばかりではないし、相手にもよるだろうが、上記のような捉え方もあるんだな、と思うと睡眠中に夢を見ることへの印象がちょっと変化したかもしれない。
現代百物語シリーズを読んでいると、日常生活であまり気にせずにいたことを、気に留めるようになることで気づく“恐怖”があるのかもしれない。霊感の有無だとかは、どうしようもないけれど、生きた人間の怖さは日常のあちこちで見え隠れする。
自分の印象も誰かの印象も、人によって異なることは言わずもがなではあるが、ちょっとしたきっかけひとつで恐怖に繋がりそうだと思えてきた。