たまたまTwitterで知ったアカウントが、本書に繋がるもので本書の一部を試し読みしたところもっと読んでみたくなったから、「inubot回覧板」北田瑞絵著を読んだ。
本書は、もともと著者が、実家から離れて暮らす妹さんが好きなタイミングで愛犬の写真を見られるように、とTwitterで運用し始めたアカウントがきっかけで、オンライン連載にもなり、出版されることになったエッセイだ。
本書を読み始めてみると、1匹の犬を飼い始めたことで、家族の知らなかった一面を知ったり、会話が増えたりする。苦手なものが好きになったり、楽しみになったりする。著者が綴る言葉からは、私の実家で飼っている犬との生活で得たものにも通じていて、夢中になって読んだ。
犬への想いは行き着く形を知らずに、日々深まっていく。昨夜よりも今朝の方が想いの深度が増している。そんな朝を迎えるとき、同時に別れへの意識が強くなっていく。
“生”について考える時間は“死”について考えている時間でもあるように。
「inubot回覧板」本文より抜粋
犬への気持ちが日々膨らんでいくこと、自分の加齢の速度とは異なる犬の加齢のことなど、ペットと暮らす人々にとって、ふと考えてしまうこと。犬の愛おしさと別れがいつ来るかもしれぬという不安や寂しさ。考えても仕方ないこと、とわかっていても、脳裏をよぎる。
犬は家族のなかでだれよりも甘えん坊で、家族をだれよりも甘やかしている。いつだってgood boyだ。
「inubot回覧板」本文より抜粋
この箇所は、読んで「あぁ、たしかにそうだ。」と納得した。家族の見たことがない顔を見せてくれる犬の姿を眺めた時のことを思い返すほどに、この表現がしっくりとくる。
著者が綴る四季の移ろいと犬と家族の姿、写真に映る情景や表情がどれも味わい深く、愛に溢れている。これからも続く犬と家族の生活が、日常のとりとめないことであっても、それを記録し続けることで思い出になったりするんだろうな、とセンチメンタルな気分になった。