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【読書感想】塗仏の宴 宴の支度

読書
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 京極夏彦氏による百鬼夜行シリーズ第6弾「塗仏の宴 宴の支度」を読んだ。この「塗仏の宴」は、「宴の支度」そして「宴の始末」の2部作となっている。


 さて、本作品では、「ぬっぺっぽう」、「うわん」、「ひょうすべ」、「わいら」、「しょうけら」、「おとろし」の各話にて、これまで百鬼夜行シリーズに登場してきた人物を中心としつつ、妖怪の話が繰り広げられる。

 それぞれの話が、徐々に繋がっていくように進むのは、これまでと変わらずといったところだろうか。

 現在とは、ほんの僅かな過去である。
 人間は、僅かな過去を”今”と錯覚して見聞きしているのである。その僅かな過去が大いなる過去に変わったとしても、そう不思議なことはないのではないか。

「塗仏の宴 宴の支度」本文より抜粋

 この抜粋したところは、今までこういった捉え方をしたこともなく、見聞きしたような覚えもないけれど、言われてみればそうかもという表現だったので、ここに記してみた。

 また、本作品では京極堂の妹である中禅寺敦子について、今までで最も語られていることが、印象的だった。彼女の生まれ育った環境、兄とのこと、この作中においての現在に至るまでの自身のことが多く述べられていることで、彼女の印象がちょっと変わった。

 どんな登場人物であれ、その人物について客観的な印象のみの描写ばかりで、その人自身の心情などが語られないと、勝手な印象が読み手にも芽生えるのだな、と改めて思う。

 そのほかは、関口巽の身に起きたことが、この先どうなるのかが気になりつつ、不穏な状況が続くのであった。

 「塗仏の宴 宴の支度」を読んでみたら、2部作ならでのボリュームに気圧されるどころか、その展開を楽しみながら読了することができた。続きである「塗仏の宴 宴の始末」を読み始めたい。