京極夏彦氏による百鬼夜行シリーズ第8弾「陰摩羅鬼の瑕」(おんもらきのきず)を読んだ。
本作品のあらすじとしては、長野のとある場所で、「鳥の城」とも呼ばれる洋風の屋敷に暮らす元華族の由良昴允(ゆら こういん)氏から花嫁の命を護って欲しい、との依頼を探偵である榎木津礼二郎が引き受け、ひょんなことから関口巽も榎木津に同行することとなったことから始まる。
なぜ由良伯爵の屋敷では、彼の伴侶となる女性がそれまでに4人も結婚式の翌朝に死んでしまうのか、今回5人目となる女性を護るべく関口巽が、一時的に目が見えない榎木津の代わりに由良伯爵やその妻となる女性、その他人々とのやりとりをすることで真相に近づいていく。
一時的なこととはいえ、目が不自由な榎木津と関口のやりとりは、どこかちぐはぐだけれど、関口が榎木津に放った言葉によって、いつもだったら「猿」と関口を呼ぶところを異なる呼び方をしている描写があったのが、なんか良かった。
本作品では、関口巽と由良伯爵のやりとりの中で、由良伯爵が関口巽に幾度も問うことがあったのも印象的だった。由良伯爵は、純粋に関口巽と会話がしたかったのだろう、とも思えるし、そういったやりとりに飢えていたのかな、とも受け取れる気がした。
また、事件の真相を知ると、自分にとっての常識が他人のそれと異なることで、こんなにも悲しいことが起きてしまうこともある、ということを突きつけられたようだった。自分が知っていることが、必ずしも目の前にいる人にも当てはまらない、ということもあることを疑ったり、わざわざ確認することもないことが多く、わざわざ答え合わせのようなことをしないと、些細なことですら気づけないのだ。
「陰摩羅鬼の瑕」を読み終えてみると、他人と関わることで湧く感情や経験などが、自分のものとなって蓄積されていくことが自分の常識だとかにも関わることを突きつけられるようだった。それに加えて、過去の振る舞いをああだこうだと後悔したり、恥じることよりも、今どうすべきかが大切なことだということも忘れずにいたい。